2021年 10月 24日
船舶用焼玉エンジン復元の紹介 3
焼玉発動機の思い出
㈱明石発動機工作所顧問 金井 清
2021年10月20日
100年前から明石港の西側、船町、東戎町と呼ばれた地区は焼玉発動機の工場がたくさんできました。大正3年明石の木下鐵工所は全国第2の生産高を記録しました。私の祖父はその木下鐵工所で修行し独立しました。明石発祥の活魚運搬船「明石型生船」や機帆船向けの焼玉発動機を作っていました。明石港に着いた機帆船から修理のため発動機を大八車に載せて工場まで運びオーバーホールをします。完成すると再び機帆船に乗せ換え試運転航海となります、幼かった私は試運転航海に同乗させてもらい明石海峡を淡路島まで心地よい船旅を経験しました。
社内で試運転すると雷鳴のごとく響き渡り近所から苦情が来ていたらしいのです。淡路行の連絡船に乗ってもいつも発動機を眺めていました。昭和36年頃まで作っていましたが以降は産業機械の製作に替えていきました。他の発動機工場はヤンマー、三菱、などの代理店になって行きました。
この度ご縁があり鳥羽商船高等専門学校にあった単気筒15馬力焼玉発動機を譲っていただきレストアすることになりました。もうとっくに焼玉を触れる職人もいなくなり私も幼いころの思い出しかなく、四国から森下様、山本様に来ていただきご指導いただきました。60年ぶりに心地良い音を聞くことができました。明石型生船と共に焼玉発動機は明石の産業遺産なので動態保存して活用できたらと思っています。