船舶用焼玉エンジン復元の紹介 3


船舶用焼玉エンジン復元の紹介 3


(写真下:今回整備関係はほぼ終わったが、噴射ポンプ関係を再度整備して取り付ける。午前中は部品取り付け、午後からは手動では少し重いこともあり、安全を考えてディゼルエンジンで友回しして始動する。30分ぐらい回して、止めて、点検して、また回してを繰り返す。

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(写真下2枚:最終2日目も、時間を長く回すよう、午前・午後とも、約30分から40分ぐらいの間隔で、7回まわした。一度回して、止めて、水漏れ確認、オイル漏れの点検、クランクのオイル抜きなどして、また回してを繰り返す。3日目も30分から40分ぐらいの間隔で4回繰り返し、会社の社員の方が二名、最初から手順どおりに行えるよう練習された。

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(写真下:4日目は、午前・午後とも、社員二名の方が最初の始動手順から停止まで手順よくこなされた。今日も約30分から40分ぐらいの間隔で回し、一度止めるごとに冷却水の点検とヘット周りだけ水を抜いて、オイル関係も点検し、クランク室のオイルを抜き取りなどの点検をして、また回してと、これを4回繰り返した。焼玉式エンジンも次第に滑らかに回るまでになり、低速間も良くなった。船舶用焼玉式エンジンとして優秀な一台でしょう。


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【 寄 稿 】 
 この度、船舶用焼玉エンジン復元のご依頼人様よりご寄稿を頂戴いたしました。拝謝してご紹介致します。

焼玉発動機の思い出

㈱明石発動機工作所顧問 金井 清

                        2021年10月20日


 100年前から明石港の西側、船町、東戎町と呼ばれた地区は焼玉発動機の工場がたくさんできました。大正3年明石の木下鐵工所は全国第2の生産高を記録しました。私の祖父はその木下鐵工所で修行し独立しました。明石発祥の活魚運搬船「明石型生船」や機帆船向けの焼玉発動機を作っていました。明石港に着いた機帆船から修理のため発動機を大八車に載せて工場まで運びオーバーホールをします。完成すると再び機帆船に乗せ換え試運転航海となります、幼かった私は試運転航海に同乗させてもらい明石海峡を淡路島まで心地よい船旅を経験しました。

 社内で試運転すると雷鳴のごとく響き渡り近所から苦情が来ていたらしいのです。淡路行の連絡船に乗ってもいつも発動機を眺めていました。昭和36年頃まで作っていましたが以降は産業機械の製作に替えていきました。他の発動機工場はヤンマー、三菱、などの代理店になって行きました。

 この度ご縁があり鳥羽商船高等専門学校にあった単気筒15馬力焼玉発動機を譲っていただきレストアすることになりました。もうとっくに焼玉を触れる職人もいなくなり私も幼いころの思い出しかなく、四国から森下様、山本様に来ていただきご指導いただきました。60年ぶりに心地良い音を聞くことができました。明石型生船と共に焼玉発動機は明石の産業遺産なので動態保存して活用できたらと思っています。



(写真下:明石型生船の進水式昭和16年宗田造船所 

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(写真下:弊社の広告昭和16年漁船発動機年鑑


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by kobas2006 | 2021-10-24 20:45 | 船舶用焼玉エンジン復元の紹介

小林喜久子【コバスモデルエンジニアリング代表】元発動機専門メーカーの女性直系子孫が石油発動機エンジン模型を製造販売 


by kobas2006