2009年 12月 19日
【産業遺産 ためになる歴史小話】 ディーゼル機関の歴史
【産業遺産 ためになる歴史小話】
ディーゼル機関の歴史
解説:森下泰伸
ディーゼル機関は、ドイツのルドルフ・ディゼル(Rudolf Diesel)博士が作り上げたものである。
彼はすでに10代のころ、ひとつのヒントを得ていた。
それは、東南アジアに位置するスマトラ島で、古代原住民が使用した「火お越し」の道具である。
スマトラ原住民の「火お越し」は、火打石とは違い、穴をあけた木製筒の先端を栓でふさいで、もぐさを使用して、これに火を付ける。
幅数ミリの木製の押棒を、手で勢いよく押し込むと、乾燥したもぐさに瞬時に火を付けることができた。
ディゼル氏がヒントを得たのは、この急激に圧縮して着火させる方法だった。
彼はやがてカルノ理論を学び、蒸気機関と内燃機関の研究を進めていく。
そして1893年、スイスのズルツァー滞在中、ある機械会社でディーゼル機関の原型を試作、失敗を繰り返しながら、1897年遂に完成させる。
初期の圧縮着火は、コンプレッサーによって燃料を噴射した。
(ボアxストローク 220x400)
燃料噴射に20馬力コンプレッサーを使用し、始動時にも圧縮空気で回す仕様であった。
1897年2月17日が、ルドルフ・ディーゼル氏によるディゼル機関「発明の日」であるとされる。
この時代のディゼル機関は大型で、その後改良されながら現代に至り、小型化していく。
一方、日本では、同じ頃(明治26年から30年頃)、『新潟鐵工所』が創業、『日本石油』が英国よりトラスチー機関を輸入、次いで海外で石油発動自転車が製造され、輸入されている。
また、東洋で初めて、隅田川及び横浜港内で石油発動機船が試乗され、『池貝鐵工所』はスチームエンジンを製作、『伏田鐵工所』は英国製ケンチング・ナショナル・クロスレー型の瓦斯機関を摸作して製造し、発動機を作り始める。
こうして、大正時代までに、「殖産興業」の国策のもと、国内でも発動機を製造する会社が、急速に増えていくことになる。